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コラム・インタビュー- COLUMN / INTERVIEW -

【トップ名医が語る】がん治療における『家族の絆』の大切さ 堀江重郎先生インタビュー(前編)

インタビュー

順天堂大学大学院医学研究科泌尿器科学教室は、前立腺がんや腎臓がんなどに対するロボット支援手術(ダ・ヴィンチ)を始めとして泌尿器系がん治療において国内最高レベルの技術、設備を有し、最善のケアにて患者さんの人生に伴走する医療を行っている。 

堀江重郎主任教授は、泌尿器系がん治療はもちろん、日本メンズヘルス医学会の理事長を務められ、男性の更年期障害診療における第一人者として先進的な診療・研究に取り組んできた実績を持つ。

また、最新の治療法の普及と啓発のためにNHK Eテレ『チョイス@病気になったとき』を始め数多くの番組に出演されるなど活躍の場を広げている。

世界レベルで活躍されている堀江教授に、FeliMedix(フェリメディックス)株式会社の創業者で、現在は代表医療顧問の小野正文教授(香川大学医学部肝・胆・膵内科学先端医療学講座)が「がん治療における家族の絆の大切さ」「男性更年期障害の治療法」など、診療の極意についてお話を伺った。

紹介

氏名:堀江 重郎(ほりえ しげお)

順天堂大学大学院医学研究科

泌尿器科学・遺伝子疾患先端情報学・デジタルセラピューティクス学

主任教授(医学博士)

経歴

1985年 東京大学医学部卒業

1988年 米国テキサス州で医師免許取得、University of Texas Southwestern medical centerで腎臓学の研究を行い、その後Parkland Memorial Hospital, Methodist Hospitalで腎移植・泌尿器科臨床に従事

1995年 国立がんセンター中央病院スタッフ

1998年 東京大学大学院医学研究科 泌尿器科学 講師

2002年 杏林大学医学部 泌尿器科学 助教授

2003年 帝京大学医学部 泌尿器科学 主任教授

2012年 順天堂大学大学院医学研究科 泌尿器科学 主任教授

現在  デジタルセラピューティクス学、遺伝子疾患先端情報学教授も兼担

氏名:小野 正文(おの まさふみ)

香川大学医学部肝・胆・膵内科学先端医療学講座 教授(医学博士)

大阪大学大学院医学系研究科 招聘教授

東京女子医科大学付属足立医療センター内科 非常勤講師

FeliMedix株式会社 創業者・代表医療顧問

経歴

1990年 高知医科大学医学部医学科卒業

1998年 高知医科大学大学院医学研究科修了

1998年 高知医科大学医学部第一内科助手

2000年 ベーラー医科大学感染症内科(米国)リサーチフェロー

2001年 ジョーンズホプキンス大学消化器内科(米国)リサーチフェロー

2015年 高知大学医学部附属病院 准教授

2019年 東京女子医科大学東医療センター内科 准教授

2021年 香川大学医学部肝・胆・膵内科学先端医療学講座 教授

2024年 大阪大学大学院医学系研究科 招聘教授

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ご経歴と泌尿器科医を目指すきっかけ

小野先生:

まず先生のご経歴についてお話を伺いたいと思います。

先生は東大をご卒業後に泌尿器科ではなく救命救急センターの方で研修を始められたとお聞きしておりますが、そのきっかけとなったことは何かありますでしょうか。

また、その後に泌尿器科医を目指された理由をお教えください。

堀江先生:

私はもともと高校の時は文系だったんですね。それでひょんなことから医学部に進んだのですが、最初は精神科とかに結構興味がありました。

精神科はとっつきやすいといえば、とっつきやすいんですけど、当時の精神病院というのは閉鎖病棟が多くて、30年入院しているとか、そういう方が結構いらっしゃったんですね。

学生実習でそれを知り、ここでやっていくのはしんどいなと思ったんです。

もう一つは、黒川清先生というアメリカで活躍されていた腎臓専門の先生が当時東大に戻って来られたんですね。それまでの大学教授と全く違う方で。

普通の先生は白衣を着て黒板にチョークなんですけど、黒川先生はダンガリーシャツなんかを捲り上げて、コーヒーカップ片手に登場したんです。

彼からのアプローチで学生時代から分からないなりにちょこっと腎臓の研究室に行ったりもしました。

それでもあまり明確に行先が決まっていない時に、友達が救急部というのがあるという話をしてきたので、行ってみようということで救急部に行ったんです。

そしたら当時の講師の先生が非常に面白くて「救命救急はやりがいがあるということで痛く感動してですね。

「明日からパンツ3枚持っておいで」と言われたので、今でいうスクラブ、当時はまだ一般的じゃなかったですがオペ着的なものを着ました。

それから救急部に入り、ずっと窓のないところで24時間いたので、次に外に出た時には梅雨が終わっていました。

当時、そういう進んだ救命センターは日本でわずかしかなくて、特にいろんな生体のモニターについて非常に勉強になったのと、極端に言うと、人ってこうなると死ぬっていうのも知りましたね。

非常に早い展開でも亡くなるとか、確かにそれが勉強になりましたね。

東大の救急部で1年間過ごした後、腎臓の移植医療に興味を持っていたので、盛んに腎移植をやっていた女子医大への入局も考えて見学に行きました。

ちょうどその時に東大の泌尿器科の助教授から電話があって「今度、新しく教授が変わって腎移植をやる先生が教授になることが決まったから泌尿器科に来ないかという話で「外国に留学もさせてあげると言われたので行くことにしました。

東大の泌尿器科に入局した後に、武蔵野赤十字病院で研修し、その後は大学に戻って直ぐにアメリカに留学しました。

ダラスのUTサウスウェスタン大学に留学して研究をすることになったんですが、そこは僕がいる間にもノーベル賞の医学者が4人、行く前にも何人もノーベル賞受賞者がいて、非常に勢いがあったので比較的研究成果が上がったんです。

ボスは「臨床医になって臨床をすると病院から給料出るぞ」と、臨床医になることを勧めたんですね。

僕も研究だけじゃ面白くないので臨床やったらいいなと思って、アメリカでライセンスを取ってクリニカルフェローとして腎移植の診療をやりました。

その後は研究も診療もかなり頑張ったので、破格の条件でアメリカに残ることを提示されたのですが、「直ぐに帰ってこい」と東大教授に言われ、日本に帰ることにしたんです。

東大では自分のための研究室も作ってくれたこともあり研究と診療を頑張っていたんですけど、教授が退官してからは自分の道を歩むことになりました。

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前立腺がんの先進医療・最新治療について

小野先生:

男性のがん罹患率で前立腺がんが1位になりましたが、最新の治療について特に順天堂大学ならではの先進医療や最新治療についてお聞かせいただけますか。

堀江先生:

前立腺がんは欧米では以前から男性で一番多いがんなんですが、私が大学を卒業する頃は、[前立腺がんは日本人はならない、欧米人がなる病気だ]と習ったんです。

実際に東大病院でも入院患者さんは年間3~4人程度で前立腺がんは少なかったですね。

最近日本人にも前立腺がんが増えてくるようになった原因の一つは、PSAという腫瘍マーカーができて割と早期発見できるようになったこと。

もう一つは、日本人の食事が脂肪分の多い食事に変化してきたことですね。世界的に脂質の摂取量と前立腺がんの発症率は比例関係にあるんです。

ですから、大体35年前に前立腺がんになる人というのは銀行員とかが多かったですね。銀行の頭取とかね。

要するに、戦後に良いものを食べられた人、洋風な食事をとれた人。

今は誰でも食べられますけど、当時は脂肪分の多い食事を食べられた一握りの人がなっていたんです。

治療の中でもロボット手術は12年前にアメリカから日本に入ってきました。

アメリカではその6、7年前からスタートしていて、これが患者さんにとって負担が一番少ないということを習っていたんです。

私自身は以前は手術で前立腺を全部取り出すのではなくて、がんになったところだけを治療する「フォーカルセラピーをやっていたのです。

しかし、ロボットという非常に大きな勢いが来たので、前立腺を全部取り出す方に戻っているのですが、世界的にも今はだんだんとフォーカルセラピーが復活しつつあります。

ですから、いずれは前立腺まるごとの治療ではなくて、がんのある部位だけを治療するということになると思います。

小野先生:

それはまだ主流ではないですか。

堀江先生:

標準治療ではないです。もうひとひねりくらい診断の正確性などが必要ですね。

小野先生:

ちょっと外れますけど、腎臓もそういう感じでしたよね。以前は、全部取らなきゃいけなかったのが、ある先生がやり始めてから一部だけ取れば良い方向に変わったと。

堀江先生:

腎臓の手術もロボットでやっていますけど、今は大体、部分手術の方が9割近いですね。全部を取るのは1割ぐらいですか。ですからいずれは前立腺もそうなると思います。

もうひとつ我々がやっているのが、PRS (ポリジェニックリスクスコア)って言う手法による予防研究です。

人間には遺伝子の多型(SNP:スニップ)がいろいろありますが、GWAS(ゲノムワイド関連解析)を行うと大体日本人で100個ぐらいのSNPがあるんです。

このSNPを全部解析していくと、大体一番少ないリスクを1とすると、1から77倍ぐらいの病気のリスクを算定できるんですが、だいたい3倍になるとまず病気になると言っていいかもしれないですね。

ですから、PRSにより前立腺だけではなくて大腸がんとか脳梗塞とかについて解析して、リスクが高い人は早期から食事に気をつけるなどの指導ができるんじゃないかなと思います。

それがある意味最新の予防研究ですね。

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がん治療における『家族の絆』の大切さ

小野先生:

以前、堀江先生から、がんになった患者さんに対してご家族のサポートの大切さ、絆の重要性についてお伺いしましたが、具体的にどのような効果があるか、どのようにご家族の方にお話されるかということについてもう一度お話をお聞かせください。

堀江先生: 

これは乳がんに関する話なのですが、ある意味僕の人生を変えた研究なんです。

もう30年くらい前にランセット(世界で最もよく知られ、最も評価の高い世界五大医学雑誌の一つ)に出た研究で、乳がんがすでに肝臓や骨とかに転移している人を集めてきて2つのグループに分けたランダマイズ研究(RCT: ランダム化比較試験)をしたんですね。

片方のグループは標準治療で当時の抗がん剤で治療する、もう片方のグループは全く同じ治療なんですが、週1回集まって患者さん同士で話しをしてもらうんです。

医者はいない状態で、患者さん同士で集まって、90分ほどただ話しただけ。今とは違い30年前だから、標準治療だけの人は平均18ヶ月の生存期間でした。

では、週1回集まって話したグループは平均何ヶ月生きたと思いますか?

正解は2倍の平均36ヶ月です。普通、薬っていうのは3ヶ月平均生存が伸びると新しい薬として承認されます。6ヶ月って言うとすごく大変な薬なんですよ。

そういう意味では生存期間が2倍になるって物凄いことなんです。

これはランセットにも載っているのでちゃんとしている研究なんですが1、乳がんの教科書には一切書いてない。

なぜか?現象は認めるけど、意味付けがわからないということで無視されているんです。

最近の研究でだんだんわかってきたのは、抗がん剤治療をすると「テロメア」という、その人の寿命に関わる遺伝子の指標が短くなるんですよ。

抗がん剤治療でがんが良くなるのはいいけども、テロメアは短くなっちゃうと、そこで寿命が終わっちゃう。

ところが喋ったりとか、瞑想したりとかいう介入をするとテロメアが減りにくい。

簡単に言うと、“人の絆”っていうのは、おそらく皆さん直感的にこれはあった方がいいと思っているし、その通りなことがわかってきているんだけど、じゃあ今、医療の場でそういうことをやっているところは一つもない。

それは医療じゃないと思っている。勝手にやってくれと。

だけど、医療外だけどそういうことがあるってことを、知らない人が多いんですよ。

それと、がん患者さんの場合、わがままな人の方が治りやすいんです。

わがままというのは、性格が悪いというよりは、がん治療よりも自分の中で重要なものがある人の方が治りやすい、ということ。がんと相撲を取らないことです。

全ての生活ががん中心になっちゃうと、実は治りにくいんですよ。

がん治療も一週間のうちの、あるいは一月の中の一つのエピソードなんだけど、友達とのランチもあるとか、ゴルフもあるとか、その中の一つ程度の方が治りやすい。

その延長上のことで言うと、「家族を連れてくるように」言うと、息子や娘も一回は必ず来るんですが、そこで「親父は何年生きられますか」とか聞くわけですよ。

「バカやろう、親孝行せんかい。親孝行というのは、顔を見せろ、週1回みんなでご飯を食べろ」と言うと家族は嫌がるんですね。

親孝行するって言っただろと、毎週親父と一緒に飯食えっていうと、親父は喜んでニヤニヤしている。

もちろん大抵の場合は忘れちゃって、親父が病院に行くことが日常になっちゃうんですよ。今日、親父が「がん治療だ」って言っても「あっそ!」なんて。

だけど、親孝行をするっていう気持ちで週に1回会いに行ったりすると親父に伝わるんですよね。それを愚直にやっているファミリーの患者は助かる。

この前も、膀胱のがんがはみ出して、足が痛いという人がいたんです。

神経ががんにやられちゃって。その人は膀胱の手術をして取ってくれって言って、家族も「なんで取ってくれないんだ」って怒っていたんですが、取っても取り切れないから意味がないと説明して。

その代わり、治るから家族連れてくるように話して、孫もいるなら全員一緒に週1回飯食えと。

それで放射線をやって免疫チェックポイント(阻害剤)を投与して、静脈からの全身投与ではなく膀胱に直接抗がん剤を注入治療も組み合わせたんですよ。

そしたら、その人のがんは無くなっちゃいました。杖をついて歩いていたのが、もう杖いらないですねって、杖なしで歩いていました。

正月はおせちを作って孫に教えてあげたいだとか、あるいはみんなで旅行行ったとか、やっぱりそういうことやっていると治っちゃうんです。

医者も、画像がどうのこうのとか、検査がどうのこうのとか、副作用ありませんかとかしか聞かないでしょ?

あとは変わらないですねとか、ちょっと大きくなりましたとか言ってるわけです。

でも、患者さんはすごく一喜一憂してるわけですよ。医者はその瞬間から5分経ったら前の患者さんを忘れているわけです。

でも、患者さんはそれでまたずっと翌月まで「私のがんが大きかった、大きかった・・・」と引きずってしまう。

そこを立ち切るのに、やっぱりみんなで会って話すのがいいんですよね。

ちょっと脱線しますけど、がんになって治った人、前立腺の手術をして治っている人を集めてファスティングをやったんですよ。

要するに食事をあんまり取らないとどういうことが起こるかっていう一種の研究みたいな。

お互い全く会ったことない人なんですけど、すごく瞬間的にみんな仲良くなって。

やっぱり一瞬みんな絶望した人たちですよね。後で測ったらテロメアが5%伸びてきたんですよ。

テロメアっていうのは、0歳から100歳で50%短くなる、ということは15%伸びるってことで、10年若返っちゃったんですね。

それはファスティングもないわけじゃないけども、『絆の力』って多分大きいだろうなと思いますね。

そういう意味で心っていうのはやっぱり大事です。当たり前ですけどね。

小野先生:

そういう意味では、生命予後っていうのは患者さんご自身には言わない方向になっていますか? 私自身もあまり言わないんですけど。

堀江先生:

言った方がいい人っていうか、要するに何か事業をしていて、それをどうにかしなきゃいけないというような場合には、正確かどうかはさておいて、限りのある可能性はあるということはいいますね。

だから、限りのあるというよりは、今やりたいことを全部やるようにと、事業継承したいのなら今全部やるとか、そういうことを言うことはありますね。

小野先生:

基本的には、いわゆる予後が何ヶ月とか切らない方が、先ほどお話しされたような感じで、そちらばかりに一生懸命ならないからいいということでしょうか?

堀江先生:

言うと呪いになっちゃうんだよね。例えばあと5年生きるって言っても大抵の人がピンとこないんですよ。5年のうちの4年3ヶ月ぐらい無下に過ごしちゃう。

あと半年ですって言ったら大体ショックで立ち直れない。

まずは5年間一生懸命生きて、そこから考えようとか、言い方いろいろあると思いますけど、「治った人は必ずいるよ」っていうことは言いますね。

後編へ続く

1 Spiegel D, Bloom JR, Kraemer HC, Gottheil E. Effect of psychosocial treatment

on survival of patients with metastatic breast cancer. Lancet. 1989 Oct14;2(8668):888-91.